「君たちはどう生きるか」の映画に隠された本質的なメッセージを受け取ることができ、「目標がない。夢がない。どう生きていいか分からない」といった人が希望を持って明るい可能性ある未来を切り拓くきっかけになることをお約束します。
真剣に本氣で想いを込めて考察しましたので、ぜひ最後までご覧ください。
以下、【ネタバレあり】です。まだ観られていない方は、また後でブログを見られてください。
①アオサギに込められたメッセージ
映画のポスターに描かれているのがアオサギです。
映画の中でアオサギは重要な役目をしています。
新しい家に引っ越した時に屋根から見下ろして眞人を出迎えたり、眞人を異世界に誘い込んだり、助けたりと重要キャラクターです。
アオサギの行動から、いくつか読み取れるものがあります。
一つ目は、「決断力と判断力」。
川で泳いでいる魚を捕らえるシーンがあります。
一度狙いをさだめたら一切ブレることなく、突き進む。
一瞬の決断力と判断力で、一気に最後まで迷うことなく走り抜ける。
我々の人生でも、タイミングを逃さずに判断して決断し実行することは大切ですよね。
二つ目は、「自立心」。
アオサギは、水辺でずっと微動だにせず綺麗な姿で立っています。
誰かを頼ったり、依存することなく、自分の足でしっかりと立っています。
まずは、自分の力で立って、自分を頼りに生きる。
自立してこそ、始まるものってありますよね。
最後は、「お導きを信じる」。
アオサギは最初、悪者のような設定に感じるのですが、実は立派な”導き役”です。
眞人に攻撃をしたり、怖そうな顔つきで誘い込もうとするシーンが多々あります。
しかし、眞人はそのことに怯むことなく、氣になって追いかけます。
結局、アオサギは眞人の助っ人として活躍。
人生には、必ず良い方向に導いてくれる人が現れます。
これは、必ずです。
これは自分に対して良いことをしてくれる人に限らず、厳しいことを言ってくる人や馬が合わない人も含まれます。
眞人が「なんだあのアオサギは。自分めがけて攻撃しやがって」と思ってそのままでいれば、その後の経験をすることはなかったでしょう。
あなたの前に現れる人、あなたに起こる出来事、実はこっそりとあなたを導いているのかもしれません。
②「受け入れと執念」が多くの世界に繋がる秘訣
森の中にある塔から死後の世界にいく時、下に沈んでいきます。
そして、死後の世界に入って、夏子がいる所に行く時も階段を降りて下に下に行きます。
”下に沈む”って重たい感覚があるし、楽なことではないです。
森の中にある塔から下に沈んでいく時、おばあさんは慌てふためいていますが、眞人は動じずに沈んでいく姿が印象的でした。
そして、階段を走って下る眞人の顔つきは、まさに”一点集中”。
夏子を救いたいという執念だけが、彼を突き動かします。
「下に沈む」=「受け入れる」、「執念」というメッセージがあると感じました。
”下に沈む”ことは、心身への負担を伴いますが、その代わりに多くの世界に繋がることができます。
基本的に人は、エネルギーが上(頭)に上がっています。
なぜなら、社会の多忙化でストレスがかかり、脳内でのバグが増えました。
そして、インターネットの発達で情報膨大化、価値観の多様化で常に脳を使って考えるという生活になっています。
だから、精神病が多い、脳の機能がおかしくなるから全身の病気にも繋がるということが起こっています。
頭に傾いたエネルギーをまずは、胸に落としてください。
頭で先を考えすぎたり、相手の出かたを見過ぎたり、損得勘定が働いたり、脳内がフル回転しているのを心で感じましょう。
人としてどう感じるか、何が喜ばれるか、どうしたら自分も周りも幸せになるか。
これは、「頭」ではなく「心」の人。
「心で生きる」と決めて、受け入れるのです。
そして、そのエネルギーをもっと下(腹)まで下げて、”腹を括る”ということが必要。
自分で決めたことを最後までやり抜く力、人生で成し遂げたいこと、人や世の中に貢献したいこと、といったブレない執念。
心で動く愛の溢れた人であり、揺るぎない執念を持って信じる力を駆使した人であること。
そんな人こそが、多くの人や世界に繋がることができると思っています。
いろんな世界と繋がって感じて経験したいのであれば、まず好奇心を持つこと、心で生きること、異世界を受け入れること、そして、執念を持ってその世界に飛び込むこと。
③「ワレを学ぶ者は死す」の意味
死後の世界(天界)に入って、ある島のような場所に辿り着きます。
そこには門があって、「ワレを学ぶ者は死す」と書いてあるんです。
「自分を知り、学ぶと死ぬ」とはどういうこと?
ここで言う「死」とは、悪い意味合いではないと解釈しています。
眞人が入り込んだ世界は、現実世界ではなく、全く別次元の世界。
その世界は、死んだ後の世界でもあり、生まれる前の世界。
”現実世界”は、身体という入れ物に魂が入っていて生きて実感を生みますが、本当の世界は”あの世”です。
「死ぬ」というのは、元にいた真実の世界に行くということ。
まとめると、「死」=「あの世(天界)」=「真実の世界」になります。
このことから、自分を知って、自分自身を学ぶことは、真実の世界に辿り着くということを意味します。
自分の長所、短所、性格、課題、できること、やりたいこと、やるべきこと、など自分を知ってこそ初めて人生が創造されていきます。
島に現れた”きりこ”という女性が眞人の名前を聞くと、このようなことを言います。
真(まこと)の人か。だから、死の匂いがプンプンする。
「眞」=「真」であり、嘘偽りなく、真実の人です。
自分と向き合い、学び、真の自分を知った時、真実に近づくのかもしれません。
そして、「生」という側面だけでなく、「死」という側面を考える。
「死」を学ばないと、実りある輝きのある「生」にならなのではないかと思っています。
真に近づくには、いろんなアプローチがあります。
自分を知って学こと、死について学ぶことは大きな学びでしょう。
④死後の世界、生まれる前の世界、現実世界
「現実世界」と「そうでない世界」の両方を描いています。
宮﨑駿監督は、「千と千尋の神隠し」でもこの世界観を表現しています。
「そうでない世界」は、「死後の世界」、「天国の世界」が混在する”天界”。
船を漕ぐ人が出てきますが、顔の表情がなく”死んだ人”と表現されています。
これが「死後の世界」。
実は、映画の冒頭で火事が起きた際も、表情がない黒影の人が出てきます。
現実世界で実際に存在している人でも、”死んだ人”のように表現されているのは奥深いところです。
そして、「生まれる前の世界」でもある。
”わらわら”は、月が出ている日に、深呼吸をして上(現実世界)に上がっていきます。
「熟すと飛んでいく」と表現されています。
みんなどこへ行くの?
生まれるのさ、上で生まれるのさ。お前が来た所だよ。
ただ、全員が現実世界に行ける訳ではなく、ペリカンに食べられる”わらわら”もいます。
現実世界に生まれてきたのは、選ばれし者。
そして、眞人が「現実世界」に戻ってきた時、異世界での記憶が残っています。
すると、アオサギがからこう言われます。
お前あっちのこと覚えてんのか?マズいよ。忘れろ。普通、みんな忘れんるんだよ。
生まれる前のこと、何を宿命として生まれるか、どのような人生を歩むかという設計図の記憶は消えます。分かっていたら、その感情が邪魔になるし分かっていると面白くない、学びがない。
「あの世」と「この世」。
「この世」があるのなら、「あの世」もある。
「あの世」で何をすると決めてきましたか?
「この世」で何をしたいですか?
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