【学校教育】日本の教育は古すぎる?オワコンの理由を現役高校教師が解説

いきなりですが、今の日本の教育について、どう思いますか?

学校で働いている先生、子どもを学校に預けられている親の方、もしくは学校で学んでいる子どもたち、と立場はそれぞれでしょう。

現役教師として働いている和多志の意見では、「日本の学校教育は古すぎます。ある部分に関しては、終わってます」

どの視点から見るかによって見方は変わるので、「日本教育の全てが終わっている」とはもちろん思っていません。

日本教育の素晴らしさは、世界的に見ても素晴らしい点はたくさんあります。

そして、ただ否定するのは、今まで積み上げてきた先人の教育に失礼ですから。

何が終わっているかというと、これです!

意味のないルールで縛る、全体主義が強い、子どもが成績や評価に意識が向くようなシステム、教員の業務が多すぎる、リスクマネジメントと教育のバランスを考えていない、教員が思考停止している。

批判を恐れずに、思ったことを書きました。

いつまで管理教育を行うのでしょうか?

子どもが失敗するのを恐れて子どもを信じない、全体を見出すような個を極端に嫌う、ルールを破る者は悪い子。

そういった考え方が学校教育の根底にあります。

小さな枠の中で押さえ込む教育をしていて、本当に子どもたちの無限の可能性は発揮されるんでしょうか?

和多志は、そうは思いません。

このやり方で日本は良くなったと言えますか?

良くなった部分もありました。

戦後の高度経済成長期は、管理されて一つになることでこの国は発展しました。

しかし、戦後から賃金が上がらず、物価は高騰し、精神的にも決して豊かとは言えない日本人が多い状況で、なぜ教育方針を現場で改めようとしないのでしょうか。

それは、人は生きてきた経験を基に生きるからです。

管理教育を受けてきた自分の経験で価値観が形成され、それを否定するということは自分の人生を否定することにもなる。

でも、その中でも柔軟な人もいれば、そうでない人もいる。

この違いはどこで生じるのか?

それは「立ち止まって振り返っているか」、「現状を疑っているか」、「常に疑問を持っているか」、「現状に満足していないか」、「世界や日本、子どもの未来を真剣に考えているか」、「本質を見極める力があるか」です。

「なぜ変われないのか?」という、もう一つの視点は、変われないような状況にいるからです。

ただただ、学校教育のシステムや教員批判をしても、どうにもならない。

大事なことは、その背景にある何か、そうさせる何かを見つけること。

いじめた本人はもちろん悪いけど、いじめる要因や背景が隠れているという考え方と同じです。

変われない状況とは、「やることが多すぎる」ということに尽きます。

教科指導、クラス担任、校務分掌(生徒指導部、進路部、広報部などの校内の役職)、部活動、生徒対応、保護者対応、研修、教材研究、自己研鑽、家庭での育児など。

正直、「これからの世界や日本の未来を考えて教育する」、「これまでの教育を振り返る」などを考えた上で、行動に起こして変革を起こそうなんていうエネルギーを持っている人は、極まれです。

それに加えて、公務員、学校現場、日本人の氣質で保守的で変化を嫌います。

これこそがオワコンとも言える要因です。。。

もう大概で古い体制から、みんながイキイキして輝ける素晴らしい世界に変えていきませんか?

和多志は、現役高校教師です。

立場を恐れず、批判を恐れず、失敗を恐れずに行動を起こします!

子どもの持っている可能性が発揮されるのなら、みんながイキイキと輝けるのなら、何でもやります!

物怖じせずに、学校教育ならではの古い常識をぶっ壊します!

現場でも、SNSの発信でも、自分の想いをぶつけていきます。

皆さんは、「日本の教育」、「変えるべき点」、「なぜ変わらないのか」についてどう考えますか?

正解なんてありませんので、氣軽にコメントしてください。考えを共有しましょう!!

最後までありがとうございました。

この記事を書いた人

カズのアバター カズ ブロガー

現役高校教師が学校では教えてくれない内容を発信。人生、教育、スピリチュアルなど、あなたの人生がより輝ける生き方・考え方を紹介します。真理に氣づき、学びあり、ワクワクありの輝かしい地球人生を送ることを願っています。

コメント

コメント一覧 (4件)

  • こんばんは。
    オワコンの理由、同意です。
    無駄な校則多いですよね
    思考停止にする教育やめて欲しいです、というか思考停止の先生が多いから仕方ないのかな…
    忙しすぎるし考える暇もないですよね
    教育がそうだから日本人全体が思考停止になるのでしょうね、思考停止教育大成功です
    体操服の記事、シャツを入れなさいと言った先生のシャツが出てるのはウケました🤣
    nayutaの記事も。以前からインスタに広告が出て来ててマスクフリーなのがいいなぁと思ってました。近々行ってみようと思います☺️

    • コメントありがとうございます!

      本当に無駄な校則が多くて、そのルールがあるから指導しないといけないという負のループです。
      「校則でしょ」とすぐに言いますが、そもそもの校則がおかしいことに目を向けないといけません。
      体操服の件は、生徒はどう思っているんだろうと氣になりました(笑)

      ぜひ、行かれてください!無駄な校則があったことなんて、忘れますから😆

  • 教員の労働環境はとても過酷だと聞いたことがあります。労働時間や業務が多く、人材不足も相まって、大変だと知り合いの教師の方がおっしゃってました。このような状況では組織内で変革が起こりにくいのも納得です。日々の業務に追われている状況では、おかしいものもおかしいと気づく気力や時間がないですよね。その点カズさんはすごいと思います。労働環境の劣悪さは、教育の国家予算に占める割合が少ないことにも要因があると思います。教育現場の窮屈さだけではなく、中央官僚組織の省庁同士の力関係にも問題があります。教育の重要性は誰もがわかっているはずなのに、それが蔑ろにされている現実。何か利権が絡んでいるのでしょう。
    次に、教育現場の管理主義についてですが、私の高校の時の担任の先生が、かなり生徒に自主性を認めてくれる先生でした。私が高校三年生の時、体育祭の実行員をやっていたのですが、その先生がかなり自由にやらせてくれたおかげで、自分で考えて動くことが増え、楽しかったですし、それを通してとても成長できたと思います。その分大変でしたが笑 比較的若い先生だったのもあり、柔軟な考えをお持ちだったのだと思います。
    その先生のおかげで主体性が身についたと思いますし、今でも感謝しています。
    事前規制だけでは生徒の成長を阻害してしまいますよね。そういった、自分で自分の行動に責任を持ってその善悪や周囲への影響を考えながら、物事をやり遂げる機会を奪うのは教育の本質を見失っていると言えます。失敗を経験することもまた学びですから。

    • 先生の出逢いとは大きなものですね!
      本当に危ない時だけ、サポートが必要な時だけ、そっと手を差し伸べればいいんです。
      それをこちらの都合で何でも指示を出して、事が起きないようにするのは子どもが成長するという教育ではないように思います。
      生徒が本当に力を養える、氣づける、体験できる場であることが学びの場としては大切ですね。

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