今回は、元教師で夫婦で音楽活動をされている方のライブにいった時の話。
昨年の5月に、和多志が奥さんと知り合いました。
和多志がネットで何氣なくある地域を調べていたら、”審神者カード”と呼ばれる占いをしているという情報を見つけて行ってみたのがその方との出逢いでした。
その方は、元小学校教師で辞めてから占いや音楽活動をされているとのこと。
そこで初めて会いましたが、すごく明るくて優しい方で、いろいろとアドバイスをもらいました。
大きく運命が動き出す時、自分の感覚がひらめく時。だからこそ、自分の真ん中の愛があるかを大切にして一歩一歩できることから始めていく。
最後に頂いたメッセージカードの言葉。
この時期は、まだブログもインスタもしていない時で転職も考えていなかった時。
あれから本当に運命が大きく動きましたよ!!
今、改めてこの言葉を読むと沁みます。
旦那さんは、元中学校で社会教えられていたそうで、その方の話がまた面白い。
太宰府天満宮の歴史、空海の話をしてもらいました。
それから9ヶ月経って、妻が「もりわださんがライブするみたいよ!」と言ってきたので行くことに。
最近いろんなことに興味を持ち始めて活動領域を広げている妻は、楽しみながらも自分を導いてくれています。
ということで、妻と息子と家族でライブに行きました。
ちょうどバレンタインデーが終わった頃に行ったので、ライブのテーマは「愛」でした。
そこで歌ってもらったのが、「Let it be」。
昔からビートルズは好きでよく聞いてましたけど、自身で作られた歌詞と歌声に感動。
「Let it be」 The Beatles
僕が苦難の時 聖母マリアが現れ
知恵を授けてくれる あるがままにいなさい
暗闇の中にいる時 彼女は目の前に立ち
知恵を授けてくれる あるがままにいなさい
あるがままに、あるがままに、あるがままに
格言をささやいてくれる あるがままにいなさい
心に傷を負った人達が この世界で共に暮らす時
答えは見つかるだろう あるがままに
離れ離れだとしても 再び巡り合うチャンスは残されている
そこに答えがあるのだろう あるがままに
あるがままに、あるがままに、あるがままに
そうさ、そこに答えはある あるがままに
あるがままに、あるがままに、あるがままに
格言をささやいてくれる あるがままにいなさい
雲が立ち込める夜も 明かりはずっと照らしてくれる
夜明けが訪れるまで あるがままに
流れる音楽で目を覚ますと 神聖なる母が現れて
格言を伝えてくれる あるがままに
あるがままに、あるがままに、あるがままに
そこに答えがあるのだろう あるがままに
あるがままに、あるがままに、あるがままに
格言をささやいてくれる あるがままにいなさい
「Let it be」の曲は、メロディがすごく良くて聴いていて、心が穏やかになります。
「あるがままに」という言葉は、奥が深いです。
体現しようと思っても、いつの間にか「あるがまま」から外れた自分になってしまうもの。
周りの影響を受けたり、周りに変化を与えようと意気込んでいると、「あるがまま」ではなくなったり。
禅の世界では、「自分の思いや枠をなくした上で、見えてくる自然な状態」のことを言うそうです。
自分の想いを持って行動することは大事だけど、この枠から外してそのままの状態を見てみる。
そして、「あるがまま」というのは、闇の部分だって受け入れるということ。
光の部分を「あるがまま」の状態で見るのは、難しくない。
だけど、世の中、組織、他人、自分に対して、闇の部分を「あるがまま」で見て受け入れるのは難しい。
周囲・他人の欠点、悪い所、不条理なこと、納得いかない所、自分の短所、変わらない所、コンプレックスに感じている所というのは、どうしても否定したり負の感情を持ちがちです。
そんな周囲・他人でさえも、自分でさえも、愛してあげる、認めてあげる、受け入れる。
「あるがまま」の言葉には、言葉を超える力が宿っていると感じます。
身体全体で楽になるし、魂が本来の進むべき道に進むような感覚になるのが、この言葉。
最後に、もりわださん夫婦の歌声をアップします。
隣には妻と息子がいて、あとは初めて会う知らない人がいた中で号泣したのは人生で初めて(笑)
自然と涙が出てきました。「泣いている自分が恥ずかしい」とか「人前だから我慢しよう」とかそんな感情はなかった。
ご夫婦の歌声、「Let it be」から波紋される周波数に力みがなくなって、「あるがまま」になれました。
今までの自分の努力や頑張りを誇ろうと思ったし、自分の全てを受け入れようと思えました。
この歌に対するコメントは、あえて書きません。
言葉にせずとも、身体で魂で感じるものがあると思います。
最後までありがとうございました。
コメント
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人が現象を感覚する時、必ずその人の「解釈」が介在します。その解釈は生きていく上で必要なものです。例えば、赤信号を見て「止まらなければならない」という解釈が存在しないと車に轢かれてしまいますし、紙の上のニョロニョロの線を文字として解釈し、さらにその列を文章として読んでいるのもこの働きによるものです。しかし、この機能が行き過ぎてしまうと生きるのが辛くなってしまったり、見えているものが見えなくなってしまいます。そんな時に「あるがまま」という言葉を思い出すようにしています。あるがままに目の前の現象をただ経験する。聞こえてくる声や何かの物音、視界に映る遠近の雑然とした物体、椅子に沈み込む体とそれを押し返す力、温度、身の回りの雑多な現象はあるがままに見れば渾然一体とした一つの宇宙。ただ、宇宙を経験する。
禅の精神に似ていますね。情報という「解釈」の塊に溢れる現代に生きる私たちに必要なエッセンスが禅にはあります。あるいは、ただ私たちが忘却していただけかもしれない。
解釈を外して、”ありのまま”を見て感じると、全て素晴らしく歓喜に溢れます✨
その”解釈”のストッパーを外してくれるのが、音楽、自然、人との出逢い、言葉、新たな経験なのかもしれません🌟
「そのまま、このまま、あるがまま」
昔、実家のトイレに飾ってあった言葉です☺️