マスクは絶対着用?”同調圧力”が蔓延る日本社会で変化を起こす難しさを感じる

今日の投稿は、実際に学校現場で起きたことについて書きます。

組織の中で、何かを変えること、世の中の流れと違うことをした時の反動がある中で主張したり行動する難しさを感じています。

このブログを見ている方からもいろんな意見をもらえると嬉しいです。

先日、和多志が学校現場でマスクをつけていないことについて、主任から指導というか、意見を言われました。

普段、和多志はマスク、消毒など一切しません。

教員の中でも、マスクをせずに会議に出たり、授業をしているのは和多志だけです。

「このようなことを書いてもし保護者が見たら?」とか言われそうですけど、このブログでは書きたいことを書きます!

ヒャッハー!!!!

「なぜマスクをしないのか?」というのは、マスクをして得られるメリットよりも、することによるデメリットの方があると様々なデータを見て思うからです。

そもそも、マスクをすることのメリットはほぼないし、することによる安心材料でしかないと思っています。

マスクを着用しない根拠は、書き出すと長くなるので割愛します。

「しておくことで文句を言われない」、「もしマスクをしてなかったら迷惑がかかる」といった不安感情からくる着用が多いはずです。

「感染しないのが目的」というよりも「濃厚接触にならならないのが目的」にすり替わっています。

そもそも、PCR検査の信頼性は高くありません。

誤作動が生じるような検査が絶対的な検査として位置付けされており、これで社会が回っています。

そもそもの議論がされていない、大元を考えずに流れのままで動いています。

前の記事でも書きましたが、”サイレントマジョリティー”だと”なされるがまま”に進みますよ。

そこで世の中の核心部分に触れた発言をすると、”陰謀論”や”都市伝説”と片づけられることが多く、議論が本質的なところまでいきません。

本当にすごい世の中になりましたね。。。

まぁ、これも全ては良くなるためのステップです。

最終的には、宇宙はより良い方向に向かっているのは間違いありません。

だとしても、「世の中の流れにのまれて生きる」のと「分かった上で距離を取って生きる」のは違いますよ〜

サッカーのワールドカップでも、日本ではマスクをしっかりするけど、海外に行ったら大勢の人がマスクを外していました。

また、誰も乗っていない車の中でも、マスクをつけている異様な光景が当たり前になりました。

これは、日本の同調圧力、圧力をかけていないにしても、周りを氣にする人が多く、”事なかれ主義”が蔓延る日本の中で思考停止している、行動することを諦めたとも言えると思います。

「マスクが必要かどうか?」という賛否は、どのデータを使うか、何を信じるかで変わるので、終わりのない議論だと思っています。

だから、マスク着用者を批判するつもりもないし、していない人を責めるつもりもありません。

「自由にやっていい」というのが根本的な考えです。

そもそも、マスク着用は自由なはずです。

マスクをつけて安心するのならつければいいし、マスクをつけることが嫌なら外せばいい。

マスク着用は”推奨”であったはずなのに、いつの間にか”義務”のような雰囲氣に変わりました。

「マスクをつけない人が悪い」、「つけないと迷惑がかかるからしないといけない」といった風潮が生まれ、いつしかマスクをしない人が不審者になりました(笑)

昔は、マスクとサングラス、帽子をかけた人が不審者みたいなイメージがありましたけど、それを凌駕してマスクをしない人が不審者ほどの珍しい存在になっています。

完全に不審者の定義が変わりましたね。

主任からは、「受験を控えている3年生もいるし、教員の立場もある」という話をされました。

「それを言い出したら従うしかないやん。ある意味の同調圧力だよなぁ」と思いました。

でも、結果的に迷惑をかけたことは謝りました。

そこで対立して、分断を生んでも意味がないんです。

”自分の正義”と”向こうの正義”を真っ向から勝負しても、争いが生まれるだけなので引き下がりました。

悔しいけど、しょうがない。

組織の中で生きること、何かを変える難しさをしみじみと実感しています。

自分の意見が正しいか間違っているかは置いといて、「自分の中の真理・真実」、「組織の在り方」、「周りとの調和」、「世の中の現状、今後の動向を踏まえた行動」を一貫させるのは至難の業です。

和多志の考えや行動はマイノリティーであり、ある意味、周りからすると「”我”を貫いたわがままな行動」に見えるでしょう。

でも、自分の真実・真理からすると、正直、世の中の現状は馬鹿げているし、本当にマズイ状況だと思うんです。

「主張、意見、執念、情熱、変化、革新、新次元への移行」と「全体性、調和、協調、平和、平等」の柱を調和する難しさを感じています。

自分の主張を貫いて迷惑をかけてもいけないし、でも世の中の流れや周りに合わせていたら、真実や真理から遠ざかる氣がしてならない。

すべてのことをバランス良くして、この世の中、世間、組織の中で突き抜けて変革を起こすのは難しいという結論に至っています。

そしたら、何をすべきなのか?

主張したり行動したりするに至るまで、いかに視野を広げることができるか、周りの意見をいくか、自分の考えを一度疑って何度も再構築できるか、だと思います。

何も考えず、自分の主張や行動の裏も考慮せず、バランスも考えなくて、いきなり行動しなければいいのかなと。

実際に生徒に聞いたのですが、「マスクを外したいけど外せない」と言っている生徒はクラスで半数はいます。

マスクを外すことによって濃厚接触になるリスクが増すというのうはありますが、それよりも子ども達のマスク着用による脳機能への負担、同調圧力によって意見を主張しない、自分を出さない、異質を嫌う風潮が生まれるでしょう。

いきなりは変わらないし、絶対的な正解はないし、やり方もいろいろ。

なので、こうやって「何がいいんだろう?」と考えながら、行動する時は思い切り、ぶっ飛ばしていきます!!

最後までありがとうございました。

この記事を書いた人

カズのアバター カズ ブロガー

現役高校教師が学校では教えてくれない内容を発信。人生、教育、スピリチュアルなど、あなたの人生がより輝ける生き方・考え方を紹介します。真理に氣づき、学びあり、ワクワクありの輝かしい地球人生を送ることを願っています。

コメント

コメント一覧 (6件)

  • あるがままの心で 生きようと願うから 人はまた傷ついていく
    知らぬ間に築いてた 自分らしさの檻の中で もがいてるなら
    誰だってそう 僕だってそうなんだ  (Mr.Children 名もなき詩)

    最近私の頭の中でずっーとグルグル回りながら流れてくる歌詞です。
    傷つくからこそ強くなれる、もがくからこそ学びがある

    もっともっと、みんながありのままで生きていける環境を一緒に創っていきましょう🌟

    • 良い歌詞ですね!!
      ありがとうございます🌟
      めちゃくちゃ心に響きました☺️

      “ありのまま”で生きようとするから、壁に当たるしもがく。だけど、そんな経験の中から学びや氣づきがあり、檻の中で生きたからこそ、人にも優しくなれるのかもしれませんね✨

      みんなが生きたいように、輝けるように一緒に頑張りましょう🔥
      この歌詞を使って記事にしてみます🙏

  • 人々はもっと”真実”を見つめるべきです。
    先日、息子が学校で外で遊んでいた時に、マスクを外していたら(走ったりするので着けてたら呼吸も苦しいですよね)先生に怒られたそうです。息子は外だから大丈夫だろう、呼吸が苦しくて逆に危険なのではないかという旨の反論をしたそうですが、聞き入れられず…。思ったことを素直に言える子、真実に氣づくことが出来る子に育ってくれて嬉しいと思う反面、学校の対応には少々呆れてしまいました。その件について学校に電話して、マスクの着脱を自由化して欲しい、せめて外遊びや体育の時は外させるべきでは無いのか、と抗議しましたが「規則だから」の一点張り。これこそ思考停止です。子供たちの未来を預かる教育現場こそ柔軟に物事を判断して欲しいと願うばかりです。

  • 世の中の大半は”真実”でないことに氣づくべきですね。
    息子さん、正しい判断でしっかりと主張をされていて素晴らしいですね✨

    ブログのおじさんが「しっかり主張していて立派だよ。素晴らしい!」と言っていたと伝えてください😆

    学校現場では、文科省から言われた通り、次々に来る通達により変更したり多くの追加事項、授業準備、生徒対応などで”思考停止”状態にならざるを得ない状況です。その中でも、本当に何が大切なのかを考えて実行する、発言する教師が増えていかないと変わらないですね💦

    この背景には、文科省の言いなりという縮図があるのと、「ルールがあるから」といった教師の固定観念、「保護者からクレームがくるから」といった事が起きないように対策する無限ループがあったりと様々です。
    どの切り口から変えていくかは難しいでしょうが、確実に言えることは、教師がまず目覚めて、真理に氣づかないと変わらないです🤣

    戦後から70年経ちました。今が大きな転換期でここで変えることができなければ、日本の教育の立ち直りはないと思っています。
    今はまだ、学校現場にいるので、最大限の努力をして波紋を起こそうと思います。頑張ります‼️

  • 世の中の人は自分に都合がいいデータや情報ばかりを集めて、まるでそれが正しいかのように語る。歴史学における学会などでもそうです。客観的に歴史を見ようとしない。自分の唱えた学説が歴史の真実だと信じ込んで、都合のいい文献ばかりを集めて、そうして作りあげられた虚像の中に、歴史の真実は埋もれてしまっています。
    そんな中、カズさんは多種多様な方面から情報を集め整理し、自身の中に真理を見出していて、私もそのような人が増えれば、歴史学の世界も面白くなるのになと、思っているところです。

    • 和多志も大学院で研究していたのですが、どうしても自分の考察が妥当であることを主張するために、都合の良いデータを探してしまいがちですよね💦

      そんな時に、指導教官や勉強会で厳しい意見を言ってもらったり、いろんな角度から質問された経験は今に生きているなぁと急に思い出しました✨

      自分だけの領域で真理を見出そうとすると、勘違い、決めつけが起こり、深みが増しませんよね。。。
      明日は我が身なので、これを機に和多志も内省してみます。
      ありがとうございます🙏

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