【視覚障害柔道】パラリンピックメダリスト廣瀬誠との出会いで当たり前に”感謝”

柔道家「廣瀬誠」さんの生い立ち

高校に入ってから柔道を始めており、運動神経はそこまでよくなく、柔道を始めたのも消去法だったそうです。しかし、どんどん柔道にのめり込んでいきました。しかし、高校2年生の時に、視力が低下し0.01に視神経萎縮となるレーベル病を患ったことで日常生活が困難な状況になりました。その時は、希望を失い、「障がい」という言葉が頭をよぎると同時に、「不幸」を意味すると思ったそうです。高校卒業後は、マッサージ指圧師・鍼灸師の免許取得のため、盲学校に進学。盲学校卒業後は、大学に進学。進学してからも実業団で柔道を続け、この頃に視覚障害者柔道に出会い、大会に出場するようになります。大学で教員免許を取得するも、卒業後は治療院で働いた後、地元愛知県の盲学校に空きができていることを聞き、採用試験を受けて愛知県名古屋盲学校の教員となり、教員と柔道家の二足の草鞋を履くことになりました。2004年のアテネオリンピックでは銀メダル。北京パラリンピックでは7位、ロンドンパラリンピックでは5位。2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは銀メダル。試合に負けて「ただのオヤジになります」とコメントをして正式に引退を表明。現役引退表明後も柔道を続けているほか、2012年からは柔術にも取り組んでいるそうです。現在は、三児の父

Wikipediaより引用

廣瀬誠さんは、障がい者柔道の元日本代表選手であり、パラリンピックの銀メダリストです。

生まれつき目が見えないのではなく、高校2年生の時に急に見えなくなって日常生活を送ることが困難になり、希望を失ったとありました。

今まで当たり前にできていたことが急にできなくなる。

これほどショッキングな出来事はないですよね。

でも、そんな辛い出来事があっても、そこから少しでも光を見出して一歩ずつ前に進んでいかれたのだと思います。

高校から柔道を始めて、柔道にのめり込んでいた廣瀬さんは、目が見えなくなっても柔道を続けるという選択をしました。

そこから、視覚障がい者柔道に出逢い、治療院から転職して教師の道へ。

二足の草鞋を履いて、日本代表となって4大会連続でパラリンピックに出場。

2大会で銀メダルを獲得。

引退後も柔道を続けて、柔術という新たなチャレンジをしているとのこと。

文章では分からない部分でたくさんの苦労と喜びがあったのだと思います。

波瀾万丈な人生ですが、決して諦めず、自分の納得する人生に向かって歩む姿はかっこいいですね。

人生で起こる嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことも全部ひっくるめて生きる

豊かな感情があること、かけがえのない体験ができることって美しいです

廣瀬誠さんとの「出逢い」が和多志を変えた

大学生の時の話です。

オリンピック選手と交流するというイベントの手伝いで、大会の補助役員として試合会場に行きました。

そこで、廣瀬誠さんに出逢います。

手伝いをしながら、いろんな話をすることができました。

廣瀬誠さんの第一印象は、「とにかく明るくて氣さくな方」でした。

目が見えないことを知った時、驚いたことを覚えています。

なぜなら、すごくイキイキとしていて、常に楽しんでワクワクしているのが伝わってきたからです。

「目が見えなかったとしても、その辛さを乗り越えて何かに打ち込んでいる人ってこんなに輝いているんだ」と思いました。

障がいのある人が可哀想とかそういう感情から思った訳ではありません。

単純に、廣瀬さんの輝き、人柄から滲み出るエネルギーに圧倒されたんです。

当時、膝の大怪我をしたり柔道の結果がなかなか出ずに、もがいている時期でもありました。

当時は、目に見える結果、数字にバリバリ固執していました(笑)

でも、そういう時期があってこそ、今があります。

そんな時に、廣瀬さんに出逢って光が差し込みました。

「なんでこんなに自分は悩んでいるんだ」

「大好きな柔道が腹一杯できているんだから幸せじゃないか」

五体満足で、大好きな柔道ができて、切磋琢磨できる最高の仲間がいる。

悩んでいた自分が小さく見えてきて、どこか吹っ切れた感覚になったのを覚えています。

廣瀬さんとの話の中で、ある言葉がすごく印象に残っています。

『「障がい」は“不便”ではあるが“不幸”ではない』

身体の障がいでなくても、人にはいろんな「壁」があります。

それって、生かし方次第でその人がより輝ける力を秘めているんだと感じました。

実際にそういう方に出逢って、和多志の身体や心で感じることができたことが何よりもの財産です。

出逢いに感謝!!

廣瀬誠さんの「生き様」とは?

この記事を読んで、印象に残った文章を2つピックアップしました。

「柔道で結果を出したいという思いがある一方、給料をもらっているのは教員という仕事で、教員を中途半端にやりながら柔道に専念するのも、ちょっと自分の中では腑に落ちないというか。それでいいのか、人として、みたいな

良い行いも悪い行いも誰かが見ている。自分が良いことして見ていてほしいなって思っても誰も見てないことはあるかもしれないけど、常にそういう想いでやってることが自分のためには大事だし、そう思ってやってると誰かが見ててくれて、支えてくれたり応援してくれたりするのかなって思う

「腑に落ちる」というのは、すごく大事な感覚だと思います。

頭で理解したことではなく、身体全体、魂をも揺さぶるほどの納得した時に使う言葉です。

そうやって、深い所まで落とし込みができた人の「芯」というのは、強く美しいものだと思います。

そして、様々な感情や想いがある中で、「人としてどうあるべきか」を考えられています。

この判断基準を持つことが何より大事で、常に心の中に持っておきたい思考です。

本来の力が発揮できるレールから少しそれたとしても、軌道修正されると思います。

そして、いろんな人から応援されます。それは、目に見える人も目に見えない存在からも

そして、「良い行いも悪い行いも誰かが見ている。そうでないにしても、そういう想いでやっていることが大事で、そう思ってやっていると誰かが見てくれたり応援される」という言葉沁みました。

前の記事にこのようなことを書いてました。

自分の想いや行動は誰かが見ています。

たとえ、上手くいかなくても、周りから評価されなかったとしても、誰かが見てくれているし、いつかは応援される

こうやって、目に見えないある種のスピリチュアルな視点を持つことで、自分を信じることができるんでしょう。

和多志は、「現実」と「スピリチュアル」の両輪で人生を展開していきたいと思っています。

最後までありがとうございました。

この記事を書いた人

カズのアバター カズ ブロガー

現役高校教師が学校では教えてくれない内容を発信。人生、教育、スピリチュアルなど、あなたの人生がより輝ける生き方・考え方を紹介します。真理に氣づき、学びあり、ワクワクありの輝かしい地球人生を送ることを願っています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 廣瀬さんの話、心にひびきました!
    私も最近、なんだか現状に満足出来ずに不安や不満を感じてしまうことがあります。そんな時こそ「足ることを知る」ことが大事なのだとこの記事を読んで改めて痛感しています。
    「一流の知性とは、二つの相反する思考を持ちながら、それらを併存させる能力である。」フィッツジェラルドの言葉です。カズさんの目指すリアルとスピリチュアルのダブルスタンダード、紛れもなく「一流の知性」だと思います。応援してます!

    • 過去の記憶を思い出しながら書いてますが、少しは廣瀬誠さんのような明るくイキイキした大人になれているなと思います✨
      衝撃を受けた出逢いって、いつの日か自分を省みる指標になりますね!

      初めて聞いた言葉です。最近ちょうど、そのバランスを考えて仕事をしていました。何かを変えるとなると、相反するものや人とバランスを取るのは難しいなぁと思う今日この頃です。主張をすれば違う意見を持った人は必ずいる訳で、バランスを取ることは大事ですけど、行動を起こせなくなるような。。。二面性を考慮した上での行動か、裏も理解しているかが大切なのかなと思いました。フィッツジェラルドの言葉で言う、「二つの相反する思考を持ちながら」の部分ですね!
      いつも新たな氣づきをありがとうございます😊✨

コメントする

CAPTCHA