「健康」とは”人生の基盤”
健康は最上の善であり、他のあらゆる善の基礎である。 「デカルト」
人生にとって健康は目的ではない。しかし、最初の条件である。 「武者小路実篤」
「あなたにとって健康とは?」と聞かれたら、何と答えますか?
和多志なら、シンプルに「人生の基盤」と答えます。
なぜなら、何をするにしても健康な身体をもってして、初めて活動できるからです。
「ご飯を食べる」、「学校や職場に行く」、「運動する」、「旅行する」、「やりたいことをする」。
全てにおいて「健康ありき」です。
健康でないと何もできないですよね。
「大病することは稀じゃない?」と言いたくなりますが、人生が充実してくる40代、50代で病気になる人はいます。
やりたいことが形になってくる時期、人生の目的が分かり始めた時期に「何もできない」のは辛いことです。
大病でないにしても、「心の病気」になってイキイキとした毎日を送っていない人もいるはず。
心に元氣がなければ、人生楽しくないです。
そうはいっても、正気、病気になってしまったら仕方がありません。
ただ、人生における「健康」の重要性を理解し、精一杯「自分のやりたいことを人生で展開する」ことが大事だと思います。
そういう意味では、「健康」は”ゴール”ではなくて、”スタート”です。基盤となるものです。
「健康」とは”マイナス”の中で”プラス”を見出していくこと
健康とは性情、元気、安定、調和などといった肯定的な側面ばかりを意味するのではなく、むしろ病、老い、弱さ、死、苦悩、障がいなどの人間に避けることのできない「否定性」のなかで「よりよく生きていく」ことを意味するものである。 「本宮輝薫」
この言葉は深いですね。
健康というと、普通は「元氣がある」、「精神的に充実している」といったことに目を向けます。
しかし、「否定性」のなかで「よりよく生きていく」ことを意味すると”本宮輝薫”は述べています。
どういうことかと言うと、人間は生まれてから死ぬまで様々な”壁”に直面します。
なかでも、老化、病気、死というのは避けることができないもの。
人生で必ず直面する、ある種の「否定性」の中で「どう生きるか」、「よりよく生きるか」ということが「健康」である。
つまり、困難な状況に直面した時こそ、「いかに前向きに生きることができるか」ということです。
「健康」は”なくして”から気づくもの
「健康」について強く意識するときはいつですか?
普段から「今、元氣だ」、「体を動かすことができて有難い」と健康を実感している人は素晴らしいですね。
内側に意識が向いている人です。
しかし、バタバタとした毎日を過ごしていると、実感する余裕がないと思います。
だから、”なくして”から氣づくんです。
病気になってみて、初めて「健康」であることの”有難さ”を感じる。
「何気なく体を動かしていたこと」、「当たり前に食事ができていたこと」がいかに”幸せ”であったかに氣づきます。
”難しいことが無い”ことを「無難」と言います。難がなければ”氣づき”がないことがよくあります。
”難しいことが有る”ことを「有難い」と言います。難があると”氣づき”がある。
これが、「ありがとう」の語源です。
和多志が大学生の時、柔道の団体戦の試合で150kgの相手と試合をしました。
人生でこんなにも巨漢の相手と試合をするのは最初で最後。
150kgって、「クマかよ!」と思いました(笑)
試合が始まって技をかけた時、「バキッ」と鈍い音が。。。
結局、膝の靭帯を怪我して2週間の間、人生初の「車椅子生活」をすることに。
その時、心の底から「歩くことができるって幸せなんだ」と感じました。
”難が有った”ことで「有難さ」を感じることができたし、「健康」であることの大切さを学びました。
心も身体も健康体であれば、何でもできます。
ただ、時として「健康」であることに有り難みを感じなかったり、「健康」を意識しすぎてそれがゴールになったりしていることがあります。
人生もっとより良く。そのためには、まずは「健康」から土台作りをしていきましょう!
最後までありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (4件)
ありがたいことに気づき、学びが深まると人生のシナリオが更新させていきますね!
難があるのは、有難い。
とりあえず、心底から感謝できる人間になれれば幸せ間違いなしだと思います👌
いや、”難”がなくても、想像しよう。噛み締めよう。幸せはもうすでに握っている。
この言葉、とても素敵です!目の前にある、一つ一つの幸せに氣づける人になりたいです!
改めて見ると、いい言葉ですね(笑)
苦しみがないと、氣づけないのか?
それは、ある種の囚われと思います。
お互い幸せになりましょう😁